プロジェクトストーリー

ビッグ測量設計の仕事とは?

ビッグ測量設計での仕事の流れや、社員がどのように案件に関わるのかを実例で紹介します。

01 2020年 東京オリンピック・パラリンピックに向け、ボート・カヌー競技場を

新しいフィールドは、“未来への夢”を届ける。

公共測量とは言葉の通り【測量に要する費用を国・又は公共団体が負担・補助して実施する測量】である。
弊社としては直接、役所から請け負う測量(仕事)となる。
全ての成果に社名が入り、全ての責任が自分達にかかってくる。
自分の技術一つで会社の評価が変わるシビアな世界。
だからこそ、情熱を持って仕事に取り組める。

【2020 年東京オリンピック・パラリンピック】でボート・カヌー競技に使用される
【海の森水上競技場地形測量】を例に公共測量について紹介する。

海の森水上競技場を建設するにあたって

海の森水上競技場を建設するにあたって、必要となる設計図の元となる地形図の作成。
入札し落札結果を待っている間は緊張感が走る。その後、役所との契約となる。
発注者と弊社担当者との打ち合わせをし、ここで初めて細かい範囲や方向性などが決まっていく。
作業計画書、各方面への提出書類(測量方法や工程・各申請書類等)を作成したら、各方面へ出向き挨拶し承認をもらう。
そしてようやく測量の基準となる【基準点測量】・高さの基準となる【水準測量】
設計図を起こす際に必須となる現状の地形を把握するのに必要な【地形測量・埋設物調査】既設発注図面との整合作業を行っていった。

海の森水上競技場を建設するにあたって

責任感とともに進む業務

広範囲・短期間の作業であったため、基本的には毎日時間との闘いであったし、工期を守る為に思いのほか苦労した。公共測量に於いて、常に念頭にあるのは社名が世に出て後世に残る事と、役所の予算で仕事している事への責任感である。工期が遅れれば費用も後の設計にも施工にも、多大な影響が出てしまう。
が、残念な事に仕事出来なくなる日もある。この仕事での天敵は【天気】。
普段は雨でもカッパに長靴で現場に出るが、作業出来ないほどの雨もある。工期が遅れる理由の一つでもある。それに加え、立ち入り許可が土日しか出なかった作業エリアがあり円滑に工程を進める為に、社内にて工程調整会議を随時行った。
他現場から助っ人を増員したりして、1班3人体制の1 日3 班で土日に現場に向かう事も多々あった。

責任感とともに進む業務
担当からのメッセージ

全ての業務に於いて、成果を収めた時に「綺麗ですね」「分かりやすいですね」「見やすいですね」など、言われるとやりがいを感じました。
自分が作成した成果を元に設計され、物が出来上がって行くのだと思うとジーンときますね。
また、公共測量は工事測量と違って、業務終了後に点数が付けられるんです。75 点以上は優良、60 点以下だと不良とされ、最悪は指名停止になる事もありえます。
今回の【海の森水上競技場地形測量】では、高評価を得られ、一番嬉しかったし、社会貢献もでき、会社の業績アップに繋がった事で、より一層の達成感が味わえましたね。

01 東京の駅改良全般 より豊かな都市を目指してを

どんな時でも“初めの1歩”は測量。

東京の人口 約1300万人。 その多くの人々の生活をより良くする為、今も昔も変わらぬ事の1つとして「インフラの整備」があげられる。
整備された道路や鉄道・空港、それらのおかげで、東京はより豊かな都市へと生まれ変わる。
一度作ったら終わりでは無く、安全を守るため、常にメンテナンスや改良は欠かせない。
その中でも、東京駅や渋谷・新宿駅等は利用者も多く老朽化により大きな改良工事が必要とされた。

東京駅丸の内駅舎(赤レンガ)復原工事

どんな時でも初めの1歩は測量。現状を把握し、新しく出来る物の位置を更地の現場に記すことで、物は出来上がって行く。
赤レンガ駅舎は巨匠の辰野金吾により設計され大正3年(1914)に竣工した。 鉄骨煉瓦造りと言う強固な耐震構造の為、関東大震災でも大きな被害は受けなかったが、昭和20年の東京大空襲の時にシンボルであった南北のドームと屋根・内装を焼失した。 2年後には2階建ての駅舎として再建された。 しかし、100年近く過ぎた今、建物の老朽化が問題視され、受け継がれた100年を100年先の未来へ引き継ぐためにも、建物の復原及び構造の耐震改修工事を行う事となった。

東京駅丸の内駅舎(赤レンガ)復原工事

周辺環境を考慮し進めた作業

普段の生活ではあまり気づかないかもしれないが、地盤は常に変動している。
特に日本は地震も多く、関東は湿地帯だった事から、地盤変動は激しい。
そんな中、駅を通常営業しながら行う今回の工事では、建物の傾斜に常に気を配る必要があった。
工事着手前の段階で約2年、駅舎の傾斜・沈下の計測を行い、工事期間中の5年間は定期的に計測し駅舎の傾斜・沈下の管理を行った。
方法としは、駅舎の壁面にシールを貼り、三次元測定システムMONMOS(特殊器械)とレベルにより、壁面の傾斜計測を行う、といった内容であった。

東京駅はビジネスマンや観光客が多く、通行人の妨げにならないよう、常に気を使ったほか、時にはお年寄りの道案内などもした。
戦争により失われた創建当時の姿への復原。その歴史的瞬間に携われた事に誇りを感じる工事となった。

時間との闘いを制す

銀座線渋谷駅改良工事

今でこそ若者で賑わう渋谷も、1885 年の山手線開業初日は利用者ゼロと言う、とても小さな村であった。1934 年の東横百貨店(現材の東急百貨店東横店)創業と共に、その名を広め繁華街へと発展してきたのである。
現在では6駅8線もの鉄道路線があり、バスターミナルもある大型交通拠点の渋谷駅。
その一方で、駅施設の増改築により複雑化は進み、利便性も失われつつある。
これらの問題を解決するために、渋谷中心地区は都市再生緊急整備地域の指定を受ける事となる。
渋谷駅再開発の先駆けともなる渋谷ヒカリエの完成と共に、東急東横線が地下に移った。今まで銀座線が乗り込んでいた、東急百貨店も解体し再開発する事となる。
銀座線渋谷駅の移設は、それに伴うものである。
銀座線渋谷駅はホームが130m表参道側に移設され、ちょうど明治通りをまたぐ形になる予定である。

銀座線渋谷駅改良工事

少しのズレも許されない作業

現在2本の電車が通るだけのエリアに拡幅されたホームが移設される事となり、今後の工事中の測量の元となる基準・水準点を設置と共に、現在の状況を把握するための図面なども作成を担当した。
それらを元に、発注された図面の再チェック(実際の現状との誤差などの把握)を行う。
工事が開始されてからは、新しくなる柱や桁の位置を現地に記していく。
実作業に派手さはないが、今後の建物を支える柱の位置や桁の位置はとても大事で、目には見えなくても、ここで間違えると今後の作業が大きく左右されてしまう。

柱が完成し桁がかかると、新しい線路の設置が待ち構えている。
この線路の敷設はパズルのピースをはめるのと同じで、数ミリでも位置がズレるとはまらない。作業時間も限れているため一度別の場所でリハーサルを行う必要があった。実際の現場と同じ縦断勾配をつけた更地で、線路の組み立てをしてみるのだ。
その時に線路毎に番号を振り、当日に作業しやすく段取りをする。
実際の線路敷設時には、設置された線路の位置が間違ってないか観測し、順次新しい線路が並べられていく。

柱完成後、上に乗せる桁の位置を出すのだが、高さ10m以上の場所で、器械を覗き作業をする。渋谷のビルに囲まれた中で、いつもと違う景色の中での作業は、新鮮でもあり、高所と言うちょっとした怖さもあった。また、新しくかけられる桁がきちんとはまるように、数ミリの誤差もなく計測するのは、とても神経使う作業となった。

桁が無事にかけられ、線路が無事に敷設されたときは、携わった人にしか分からない喜びがあったのであった。

少しのズレも許されない作業
担当からのメッセージ

最初の測量で現状を把握し、そこから設計を起こして、現地に実際の位置を記していく。
物が完成したら、設計図通り出来ているかの確認をする。ここで設計図通りでないと後の耐久性などにも関わってくるので、これも大事な作業なんです。この仕事は、初めの一歩と最後の一歩、すべてに関わっていっているとひしひしと感じます。

03 東京メトロ有楽町線 小竹向原駅~千川駅間連絡線設置工事に伴う展示室開設

大規模かつ長期の工事に伴い、ご理解を頂く為に。

東京メトロ有楽町線 小竹向原駅~千川駅間連絡線設置工事は大規模かつ長期の工事であるため、
近隣の方々により深いご理解・ご協力を頂く事が必要であった。 その為、工事現場と近隣の方々をつなぐ場として展示室を設置し、
工事の概要や進捗などの情報を随時開示できる空間をご提供したいとの話を頂く。
展示室作りは【近隣の方々が気軽に入ってこられる空間】を目指し、小さなお子様を連れて来ても楽しめる空間、
かつ工事内容の分かり易さを優先した展示室つくりとなった。

お客様第一主義

お客様より当工事の展示室を開設したいと言うご要望があり、コンペティションに参加。
ヒアリングと現地踏査から、企画・設計・積算資料等をまとめプレゼンテーションを数回行い受注する事が出来た。(ヒアリングから受注までの期間は3ヶ月程度)
実際の作業では展示室のレイアウトの構築と、展示物の作成の 2つに分かれ、レイアウトに関しては設置場所空間の構築のためリフォーム業者を選定し依頼、管理を行った。 展示物ではパンフレットや工事説明用DVDの制作、展示物の選定・購入や全体の装飾など多岐に渡り検討し提案した。

お客様第一主義

時間との闘いを制す

受注からオープンまでの期間が 3 ヶ月しかなく、施工業者の選定・施工管理からコンテンツの制作も含めかなり時間に追われ、寝ても覚めても、展示室の事で頭が一杯の3ケ月を過ごす。オープン後は、近隣住民の方達には工事へのご理解を深めて頂け、リピーターの方々も多く、当工事への興味関心を持って頂く事が出来、当初のコンセプトである【近隣の方々が気軽に入ってこられる空間】として工事と地域を結ぶ役割を担っている。

時間との闘いを制す
担当からのメッセージ

実際に展示室に来て下さった方々から「面白かったよ」、「また来ます」と言った言葉を頂けたときはうれしかったです。また、制作して 4 年たった映像が現在でも色々な場面で使われていると知った時は、予想以上の広がりがあり改めて達成開を得ることが出来ました。